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7月12日は母の命日でした〜
私はなぜか?母が亡くなった日にちが思い出せない。 7月のこの辺りっていうのは分かっている。 どこかで12日を脳にインプットしたくない自分が居るようです。 いつも兄の・・・”お墓参りに行ってきた”と言う言葉に・・・そうだった!って思い出すのです。 今年も兄からお寺に行って来たって電話で聞いたのです。 その時に返した私の言葉・・・”あ、東京は7月がお盆だもんね” たぶん、これを聞いた兄は”へっ?”って思ったことでしょう。 呆れる妹ですね。 私が母の命日を思い出したのは・・・昨晩の14日でした〜なんて鈍い人なんでしょう。 寝際に想い出した私はスッカリ眠ることが出来なくなり・・・ 想い出しては涙が流れ、感情も脳も高ぶり、休まらない夜になってしまいました。 母が亡くなった日の日記です。 ↓ http://plaza.rakuten.co.jp/pocha/diary/200307120000/ 寝床で眠れない私は当時を回想します。 母が立川の昭和記念公園で三姉妹で最後の素晴らしい紅葉を見た〜 その次の日の朝〜母はその日から視力を失っていました。 それ以来、キレイな景色も見ることが出来なくなったのです。 本当に最後の紅葉でした。 母が患っていた病気というのは、恐ろしいものでこういうものなのです。 本当に突然な出来事?っていう感じです。 私もそれ以来、寝床で目をつむる度に、目を開けたら暗闇な時が来るのかもしれない と言う、恐怖と不安に怯える日が多かった。 母の闘病は9年間でした。 私が30歳の頃から始まり・・・この30代は私には悲しみと苦しみな10年間だったと表現出来ます。 生きていることが拷問で辛いと考えた。 そんな心の闇を抱えていた私を救ったのが介護職という仕事でした。 ヘルパー2級講習会ではどれだけ慰められたか分からない。 講師やそこに居合わせた人達との交流。 講習を受けながら涙が出ました。 ヘルパーに就き少しずつ、私の心も癒されて行きました。 私を救ってくれた仕事だからこそ、今ではそれを、利用者さんに還元しているつもりです。 この仕事を通して、実の親は居なくても、いつでも親孝行させてくれる。 私を幸せにさせてくれる。 それが私から見た介護職という仕事です。 母のコトがなければ介護の仕事なんて出来なかったでしょう。 きっと母が生きていたら、今の私を見て喜んでくれると思う。 (でも無理はしないのよって言ってくれているだろう) 命日には母を想い出し偲ばないとね、少し反省しました。 |
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2008-07-15 Tue 10:44
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